コラム

2021.03 京はやましろ、川の町…天下分け目の天王山、激戦のアトは遠く、大正モダンからポストモダンまで光彩放つ大山崎山荘

大山崎

 京都と大阪の境い目に大山崎町がある。桂川、宇治川、木津川の3川が合流して淀川になる辺りで、対岸は八幡市男山(2013.08石清水八幡宮参照)である。周知のように光秀と秀吉がこの河原で戦い、雌雄を決した場である。こんな大きな歴史的事件の舞台であるにも関わらず、目立たない町であるが、JRと阪急京都線が走りどちらも町内に駅を設けていて、小さな町だが賑やかだ。
 他方で山と川に挟まれた自然環境にも恵まれ、清水が湧き出る山際一帯は、山紫水明の水無瀬の里として平安時代から都人に慕われ、藤原定家は隠岐に流罪となった後鳥羽上皇を慰めるため、百人一首の世界にも取り上げていたといわれる。
 明治以降はこの山裾にサントリーの大山崎蒸留所ができて、日本のウイスキー発祥の地となったのは、テレビドラマ『マッサン』の話しである。今や、山崎の水を使った国産ウイスキー『山崎』は、日本の代表的なブランドになった。

大山崎山荘

 その『マッサン』や『山崎』より、名前だけだがさらに有名なのがその背後の山、『天下分け目の天王山』である。今はもっぱら高校野球等の各種スポーツの全国大会決勝戦で使われることが多いが、その元がここにある。言うまでもなく、先ほど触れた光秀と秀吉の戦いである。
 しかし、三川合流域の広大な河川敷には無数の石ころが転がるだけで何も語らない。激戦のアトを物語るものは何もない。戦場が広過ぎたのか、或いは戦いがあっけなさすぎたのか、ただ三川の水音が河原に広がっているだけである。これでは、観光資源にもなりようがない。

大山崎山荘美術館

 仕方なく、洞が峠(淀川の対岸)で日和見を決め込んだ筒井順慶を見習って、天王山に向かう。阪急大山崎の駅から山に向かうと山頂に至る道とは別に、右手に折れる側道に出合う。それが、大山崎山荘への道である。10分足らずで山荘に到着。民芸運動の支援者であった二人の関西の実業家によって昭和初期に建てられた英国山荘風の名建築がバブル経済期に荒廃しかけたが、アサヒビールのバックアップで立ち直り、さらに質量を高めた。
 本館に入ると、大正時代の民芸運動の推進者、河井寛次郎、富本健吉、バーナード・リーチなどの名作が展示され、さらにイギリスや朝鮮王朝時代の古磁器などもコレクションされている。そして、この本館から半地下の生コン打ちっぱなしの地中廊下を進むと、安藤忠雄設計の「地中の宝石箱」に行き着く。モディリアーニやパウル・クレー、ヘンリー・ムーアなどの近現代の作品が展示されているが、秀美なのはクロード・モネの睡蓮である。展示替えされているが、何点あるのか、連作として全て鑑賞したいところである。併せて、現代美術作家の作品も季節ごとに入れ替え展示され、大正モダンからポストモダンまで新しい美の創造拠点として、戦国時代の覇者に代わって、天王山の中腹で光彩を放っている。(M)