コラム

2021.02 京はやましろ、川の町…鬼棲む山は宝の山、大江山の鬼伝説と鬼の交流博物館

鬼瓦

 今年は2月2日が節分だそうだ。季節の区分けとして、立夏、立秋、立冬の前の日は全て節分なのだが、もっとも待ち望まれる立春の前日が、節分会として定着した。冬と春の間、季節の変わり目の隙間を狙って、鬼と福がやってくるという。鬼はイメージしやすい。角の生えた赤鬼、青鬼であるが、福は何だろう?下膨れのあのお多福さんなのだろうか?そして、彼ら彼女らは、いったい何処から何をしに来るのだろう?
 はっきりしないのは、当然である。皆の心の中には、存在するだけで、実在しない。らしき者を見た人はいても、姿を見た人はいない。一年の間には、良いこと、悪いこと、嬉しいこと、嫌なことが多々あり、それらが心の中に棲み着いてしまう。夏、秋、冬を経て、草木が萌出づる春を前に、心の中を大掃除して鬼を追い払い、気持ちだけでも幸せをもたらす福を呼び込みたいという昔人の心情が節分会として根付いたのだろう。

 鬼のように恐ろしい形相、鬼のように大きくて強い、そんな鬼に勝ったのは桃太郎と源頼光である。桃太郎に負けた鬼は海族、大江山の鬼は山族である。時の支配者に従わない“悪者”である。大江山の鬼伝説はいくつかあり、時代も異なる。6世紀前半、8世紀、そして12世紀。いずれも、時の為政者の指示に従わない、ならず者達が退治されたという物語である。

酒呑童子

 南北朝の頃にできた平安時代末期を舞台にした伝説が、物語としてもっとも興味深い。百鬼夜行の時代、酒呑童子と自ら名乗り、丹波の大江山を拠点として都へ繰り出し、金品強奪、姫御前の誘拐を繰り返していたという。一条天皇の要請で、源頼光が坂田金時(足柄山の金太郎)や、後に一条戻り橋で老婆に化けた鬼と対決する渡辺綱ら四天王を引き連れての大江山の鬼退治の話は、リアリティーもあって面白く、能や浄瑠璃、そして歌舞伎、御伽草子から映画にもなって度々上演されてきた。どんどん話は大きくなり、面白くなった。ここでは、酒呑童子も赤鬼、青鬼も実在していた。要するに都に住めない山族である。尾ひれがついて、白人(ロシア人?)が、日に焼けてか、酒に酔ってか、真っ赤になっていたとか、大きな赤ら顔の大男、おそらくは“鬼”がいたとの、まことしやかな話まで伝えられていた。

 元々大江山は、麓一帯の丹波・丹後の『丹』が意味してるように、銅やニッケル等の鉱物資源が豊富な地であり、その地の先住民や渡来人がその精製技術をもって富を蓄積して独自の勢力圏を築いていたと思われる。時々の権力は、その勢力を屈服させ制圧するのが課題であった。その攻防によって鬼伝説が生まれたのは容易に想像できる。広大な山を守るためには、柵や土塁だけでは不可能で、坑道や洞窟という鬼の棲家が何よりの防御策だった。同時に、鬼のようなワルモノがいて、暴虐の限りを尽くしているので退治しなければならないという、山族が時に赤鬼、青鬼になり、その攻防の武勇伝が、誇大化したともいえるだろう。

元伊勢内宮

 実は、大江山は鬼伝説だけではない。巨大な鬼瓦のモニュメントが迎える世界各地の鬼の交流博物館は、鬼の諸相が見えてきて興味深いが、この酒呑童子伝説の後日談とも言うべき史跡が現存する。
 元伊勢神宮の外宮、内宮、天岩戸神社など、いくら説明を聞いても、どうしてここに?と、すんなりとは理解できない神社の存在である。日本の国家誕生と密接な関わりのある神話の世界が大江山中に実在し、それが国によって認められている。とすれば制圧した側が、先住民を懐柔するために造ったものかも知れないし、その民は平地の民ではなく山の民であったこと、その制圧、懐柔にその後も苦労したことが想像される。

 上品な摂関社会の平安京から、武力がモノをいう武家社会への狭間に咲いた源氏と平家の主導権を巡るエピソードなのか。来るべき動乱の時代に備えた製鉄技術と武具の争奪戦であったのか。山の民のサイドから見れば、時の権力に従わず、公家文化にも武家社会にも馴染めない荒くれ者が、立てこもった日本版『梁山泊』だったと言えば言い過ぎか!
 酒呑童子は、源頼光に騙されて毒酒を飲まされ、痺れて動けぬ状態で首をはねられたが、最後に叫んだという『鬼に横道はない!』という叫びは、何を物語っているのだろうか?(M)