コラム

2020.04 京はやましろ、川の町…今は昔、愛宕山から視た光秀の夢。

愛宕山 京都は、かつて山背(ヤマシロ・山城)の国といわれた。瀬戸内、大阪から見れば如何にも山を背にしている。三方全て山である。が、それほど高い山は無い。なだらかな山々が丘陵を構成している。その合間を縫って幾筋もの小川が流れ、合流を重ねて鴨川、木津川、桂川となり、山崎・八幡間の西南角で淀川となって、大阪平野へと流れ出る。平安京以前の京都市は、その殆ど全域が三つの川が流れ込む大きな沼のような湿地帯だったので、都の造営は治水工事から始まった。
 しかし、爆発するような火山も無く、当初暴れ川だった鴨川も大洪水を起こすようなことは無く、山も川も人々に馴染んで穏やかな環境を提供してきた。京都は山に囲まれ、川(水)に恵まれた都なのである。

 市内から見える最高峰は、924mの愛宕山である。京都の人は「あたごやま」とは言わず「あたごさん」と言う。愛宕権現が祀られる信仰の山であり、火防の神として生活に密着した竈(かまど)の神さんとなり、『火廼要慎』のお札の元締めで全国900社の総本社でもある。奈良時代に開山したと言われるが、平安時代初期の和気清麻呂らによって、白雲寺として創建され神仏習合や廃仏毀釈等の影響を受けながら存続して、愛宕神社となって今日に至っている。

愛宕山 天気の良い春の一日、山頂から眺める京の町はコロナ騒ぎに関わらず陽光が柔らかく包み、急峻な坂道で汗ばんだ肌に春風が心地よい。若葉の間には山桜が咲き、眼下には桂川が大きく蛇行しながら大山崎へと流れていく。
 本能寺襲撃の前夜、亀岡城を出た光秀の梅雨の最中の行軍は相当きつかったと思われる。さらにその4日前に愛宕山に先勝祈願し、蓮歌の会を催した時も大雨だったとか!体力の疲弊は思考の余裕を奪う。彼の脳裏は、乾坤一擲!襲撃作戦とその後の展開でいっぱいだったのだろうか。『もしも』は許されないが、もしも4月の晴れた日に光秀が愛宕神社に参拝していたら、そして眼下に広がる春うららの京洛を眺めていたら、或は本能寺への襲撃は無く、その後の世界は違ったものになっていたかもしれない。(M)

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